1.1.ⅰ.「科学技術の智プロジェクト」

(1)「科学技術の智プロジェクト」の経緯

「科学技術の智プロジェクト」は、内閣府日本学術会議で「若者の理科離れ問題から発して、日本における科学離れ、学問離れ問題について調査研究を行い、それらの問題の解決を図るための提言を行う」ことを目的として行われていた科学力増進特別委員会(委員長:北原和夫:2003~2005年)が母体となって始まった(日本学術会議若者の科学力増進特別委員会,2005)。

2003(平成15)年、日本学術会議(第19期)に「若者の理科離れ問題特別委員会」(委員長:北原和夫、後に「若者の科学力増進特別委員会」と改称)が設置され議論が重ねられた。そして、その報告書では、わが国では科学技術教育の目標が明示されていないこと、そうした目標についての国民的議論がなされていないことが指摘された。そこで参考となる先行事例とされたのが、米国における科学技術リテラシー構築のための米国科学振興協会(AAAS)によるプロジェクト「Project 2061」であり、アメリカ人に持ってほしい科学技術リテラシーとして1990年にそのプロジェクトによって発刊された『すべてのアメリカ人のための科学』(日米理数教育比較研究会訳,2005)であった。そして、わが国においても科学技術リテラシー像作成の可能性と意義を検討する必要性が提案された。米国のプロジェクトは「for all」の主張を前面に押し出しており、この観点から日本の科学技術教育を考え直すことが重要と考えられたからである。

2005(平成17)年度には、わが国で科学技術リテラシー像を作成するための課題整理と基盤整備を行うことを目的とした科学技術振興調整費によるプロジェクト「科学技術リテラシー構築のための調査研究」(研究代表者:北原和夫)が発足した。研究機関は、国際基督教大学(中核機関)、国立教育政策研究所、お茶の水女子大学、日本学術会議の4機関とし、約70名の科学者、教育者等が参加して、次の三つのテーマに関する研究を行った。

・科学技術リテラシーに関する先行研究・基礎文献に関する調査

(国立教育政策研究所:代表:長崎栄三)

・科学者コミュニティや産業界等の国民の科学技術リテラシーに関する意見集約・類型化調査

(お茶の水女子大学:代表:服田昌之)

・科学技術リテラシー像の策定に関する検討課題に関する分析

(国際基督教大学:代表:北原和夫)

これらの三つの研究のうち、「科学技術リテラシー像の策定に関する検討課題に関する分析」において、その後の科学技術リテラシー作成プロジェクトの目標、進め方、組織のあり方などが検討された。そこでは、「科学技術」、「科学・技術」という表現についても科学や技術の本質や文部行政や科学技術行政での使い方という観点からたびたび議論され、科学や技術を包含するものとして「科学技術」という表現とするとした。なお、それぞれの研究成果は、報告書としてまとめられ(長崎,2006;服田,2006;北原,2006)、科学技術振興機構(JST)のウェブサイトにも掲載されている。

2006(平成18)年度から2007(平成19)年度にかけて、科学技術振興調整費「重要政策課題への機動的対応の推進」による調査研究として、「日本人が身に付けるべき科学技術の基礎的素養に関する調査研究」(研究代表者:北原和夫)が行われた。この研究では「科学技術の基礎的素養」を「科学技術の智」または「科学技術リテラシー」として、プロジェクト名を「科学技術の智プロジェクト」と呼ぶことにした。執行機関は、日本学術会議、国立教育政策研究所であった。このプロジェクトには、科学者、技術者、教育者、博物館関係者、NPO関係者、メディア関係者など総計約150名の委員が参加して、わが国の科学技術リテラシーを作成し、それらを総合報告書1冊、及び、専門部会報告書7冊にまとめた(科学技術の智プロジェクト,2008)。なお、これらの報告書も、JSTのウェブサイトに掲載されている。

この「科学技術の智プロジェクト」では、「科学技術の智」または「科学技術リテラシー」を、「成人段階を念頭において、すべての人々に身に付けてほしい科学・数学・技術に関係した知識・技能・物の見方」と規定し、それを具体的に作成した。このプロジェクトでは「科学技術の智」または「科学技術リテラシー」に、自然科学や数学だけではなく、人間科学・社会科学、情報学、技術を含めたことに特徴があった。

「科学技術の智プロジェクト」の研究組織は、評議会、企画推進会議、七つの専門部会、すなわち、数理科学専門部会、生命科学専門部会、物質科学専門部会、情報学専門部会、宇宙・地球・環境科学専門部会、人間科学・社会科学専門部会、技術専門部会、および、広報部会、事務局からなっていた。それぞれの専門部会は、約15名の委員で構成されていた。「科学技術の智プロジェクト」の研究組織をまとめると、表1-1の通りである。

表1-1 「科学技術の智プロジェクト」の研究組織

企画推進会議は、日本学術会議「科学と社会委員会」(委員長:鈴村興太郎)の「科学力増進分科会」(委員長:毛利衛、副委員長:鈴木晶子)の中の小委員会(「科学と社会委員会科学技術リテラシー小委員会」)に位置付けられたことで、「科学技術の智プロジェクト」の活動は、日本学術会議と連携を保ちながら行われた(日本学術会議科学と社会委員会科学力増進分科会,2008)。

また、事務局は、国立教育政策研究所の研究員と事務スタッフ、日本学術会議の事務スタッフ、合わせて19名で構成され、評議会、企画推進会議、専門部会のほとんどの会合は日本学術会議で開催された。なお、「科学技術の智プロジェクト」の公式な会合のすべての議事録、研究資料等は、JST科学コミュニケーションセンターのサイトに掲載され閲覧できるようになっている。

 

(2)科学技術リテラシーについての考え方

「科学技術の智プロジェクト」では、科学技術リテラシーを考える上で、まず、私たちが目指す日本の社会像を描き、そのもとで、その意義・必要性、前提などを考えた。

「科学技術の智プロジェクト」は、日本の将来像として、次のようなものを描いた。

・社会の構成員一人ひとりがかけがえのない存在として認められること。

・社会の構成員のすべてが地球という環境を慈しみつつ持続可能な社会を実現するための叡智を共有して活動を起こせること。

・社会のあり方として、若者が将来への希望を抱きつつ文化を継承していけるシステムが有効に稼働していること。

このような持続可能で民主的な社会において、日本人が「心豊かに生きる」ために科学技術リテラシーを具体化することにした。

そして、現代のわが国において、科学技術リテラシーを作成する意義・必要性は、次の四つにあると考えた。

・科学技術についての判断

・科学技術についての世代間の継承

・学校教育における理科、算数・数学、技術の学習の長期的展望

・科学技術教育の生涯にわたる目標の俯瞰

このような、科学技術リテラシーは、指針、素材、推進力、となることが期待された。

科学技術リテラシーの作成においては、最近の科学技術の進歩と共に日本の文化の特色を取り入れることとした。そして、それぞれの専門部会報告書を構成する上では、人間社会を軸に構成すること、ストーリー性を持って構成すること、現在から将来を視野において構成することを心がけた。また、七つの専門部会報告書の素案ができあがった段階で、専門部会間の相互閲読を行い、専門ではない分野の内容について相互に理解できるように自由に意見交換を行って、報告書をまとめる際の参考とした。

そして、「科学技術の智プロジェクト」では、科学技術リテラシーをメンバー間で検討すると共に、ウェブサイトやシンポジウムを活用してできるだけ多くの人々の参加を得て、このプロジェクト自体が科学技術リテラシーの向上の運動となることを目指した。

これらの考え方は、後述の総合報告書の第1章の記述に反映されている。

 

(3)科学技術リテラシーへの七つの扉-専門分野の知識としての科学技術リテラ

2008(平成20)年に、分野毎の科学技術リテラシーをまとめた専門部会報告書7冊(数理科学、生命科学、物質科学、情報学、宇宙・地球・環境科学、人間科学・社会科学、技術の7分野)が作成された。これらは科学技術リテラシーへの七つの扉とされ、いずれかの扉から科学技術リテラシーに入ることが期待された。これらは、科学技術リテラシーを構成する科学技術のそれぞれの専門分野の知識の具体化と言えよう。それぞれの専門部会報告書の構成をまとめると、表1-2から表1-8の通りである。

表1-2 数理科学専門部会報告書の構成

表1-3 生命科学専門部会報告書の構成

表1-4 物質科学専門部会報告書の構成

表1-5 情報学専門部会報告書の構成

表1-6 宇宙・地球・環境科学専門部会報告書の構成

表1-7 人間科学・社会科学専門部会報告書の構成

表1-8 技術専門部会報告書の構成

 

(4)科学技術リテラシーの全体像-知識・技能・物の見方としての科学技術リテラシー-

1)「科学技術の智プロジェクト」総合報告書の構成

2008(平成20)年に、専門部会報告書7冊を受けて、総合報告書が作成された。総合報告書は、それぞれの分野の科学技術リテラシーを可視化した「科学技術の智の曼荼羅」から始まり、それに続く6章から構成されている。

第1章は、先に述べられた科学技術リテラシーについての考え方であり、第2章は、科学技術の本質である。第3章は、科学技術リテラシーの主として知識面が扱われており、詳しくは専門部会報告書の内容で先に述べられている。第4章は、科学技術リテラシーとしての科学の見方・考え方である。第5章では、水、食料、エネルギー、地球を取り上げて、科学技術リテラシーの知識や考え方などがどのように使われているのかが示されている。第6章は、科学技術リテラシーの普及の方策についてである。総合報告書の構成をまとめると、表1-9の通りである。

表1-9 「科学技術の智プロジェクト」総合報告書の構成

ここには、科学技術リテラシーとしての、知識(第3章)だけではなく、科学の見方・考え方(第2章、第4章、第5章)、コンピテンシー・スキル・態度(第4章)などが含まれている。第3章は専門部会報告書を受けたものであり、すでにその構成が説明されているので、本節では、第2章、第4章、第5章について簡単に述べる。第6章の科学技術リテラシーの普及については、節を改めて述べる。

2)科学技術リテラシーにおける科学の本質

第2章では、科学技術リテラシーにおける科学の本質について、「科学とは」、「科学の方法」、「科学の可能性」で構成されている。

「科学の可能性」では、次のように記述されている。「科学ですべてが説明できるとは限らない。…科学が提供できるのは合理的判断を下すための材料であって、科学は絶対的な権威とはなりえない。研究の過程から出た結果、それに対する批判までもが、論文や学会発表などの形式で公開されることで、透明性が確保されている。…科学技術によって発展してきた社会は、今、科学技術の負の側面によって持続が危ぶまれつつある。持続可能な社会を実現するにあたっても、科学技術が必要である。科学技術は専門家だけの領域ではない。一人ひとりが科学に関心を持ち、何らかの形で関わっていく必要がある。」

これらと、技術の本質、数学の本質を合わせると、科学技術リテラシーにおける科学技術の不確定性など、科学技術の捉え方が描かれている。

3)科学技術を見る上での視点

第4章の初めの三つの節では、科学技術リテラシーにおける科学技術を見る上で具体的な視点や考え方が、歴史的な事実をもとに記述されている。第4章の初めの三つの節の詳しい節・項は、表1-10の通りである。

表1-10 科学技術の智の視点

これらのうち、「現代の科学技術の考え方」においては、1990年に米国科学振興協会から発刊された『すべてのアメリカ人のための科学』において、科学の「共通の主題」として挙げられた、「システム」、「モデル」、「恒常性」、「変化のパターン」、「進化」、「規模」を意識しつつ、その後の約20年の科学技術の進展を踏まえて、「総合的視点にたつ選択 (トレードオフ)」、「多様性と一様性」、「可視化」、「イメージ化は私たちの科学を、日常をどのように変えたか」、「スケールとサイズ」、「多量データ高速処理のアルゴリズム」、「科学と技術の相互貢献」の6点が挙げられた。

4)科学的な態度・センス

科学技術リテラシーとしてのコンピテンシー・スキル・態度については、第4章4.4「科学的な態度・センス」で扱われている。

科学的な態度としては、次の3項目が挙げられている。

・科学にとって必要不可欠な資質:① 好奇心、② 批判力・懐疑力

・科学が持っている特質:① 証拠・論拠依存性 ② 理論的・数的志向性 ③ 暫定性

・科学的な活動の特質:① 自己限定 ② 科学者共同体管理 ③ 公開性 ④ 公共性

そして、「科学的センスを身につけた人」として、「現代社会と私たちの生活世界が科学や技術の成果に支えられていることを自覚し、科学や技術に関して関心を持とうとする態度」を身に付け、「日常生活において、科学的な知識や見方・考え方が必要な場面を適切に判別できるセンス」を身に付けること」として、具体的には、次の4項目を挙げている。

・科学的に考えてみたらどうなるだろうという発想が自然に出てくること

・基礎的知識から根拠を持って合理的に推論していく習性が身に付いていること

・科学的に正しいとされる知識を簡単に入手するすべを身に付けていること

・うさんくさそうな知識や言説をかぎわける嗅覚を身に付け、科学的に検討をしてみようとする態度を持つこと

5)科学技術リテラシーの活用:生涯学習への示唆

科学技術リテラシーをどのように使うかが、第5章において、「水」、「食料」、「エネルギー」、「地球と人間圏」という四つの主題のもとで描かれている。第5章の構成は、表1-11の通りである。

表1-11 科学技術リテラシーの活用

一般に、社会に出た成人は、科学技術の知識を分野ごとに学ぶというよりも、課題ごとに持っている科学技術リテラシーをもとに考えることになる。「水」、「食料」、「エネルギー」、「地球と人間圏」という課題ごとの科学技術リテラシーの活用の提示は、自らの課題解決を通して科学技術リテラシーを向上させていくという生涯学習における科学技術リテラシーの向上のあり方を示唆している。

総合報告書は、その後、字句修正の修正版を作成する際に、巻末に索引が付けられた。これらの索引のうち科学技術リテラシーの知識や考え方などに関わる索引は約680語あった。これらは科学技術リテラシーの重要な概念や用語の一端を著していると思われる。そこで、これらの索引を章ごとにまとめて、本章末に「資料1-1 科学技術リテラシーの概念・用語」として挙げてある。

 

(5)科学技術リテラシー普及のあり方

科学技術リテラシーの普及については、本報告書が出された2008(平成20)年に生まれた子どもが大学を卒業して社会に出ると思われる2030年を目途に、総合報告書の第6章「将来へ:科学技術の智の継承と共有」に詳述されている。

第6章6.1では「私たちは何をなすべきか」として、「科学技術の智プロジェクトの継続」、「定着のための戦略の策定と実行」、「ネットワークの構築」、「成果の検証と世代間の継承」、「変化への対応」が挙げられている。なお、「科学技術の智プロジェクトの継続」に関しては、「日本学術会議が日本の知の拠点として、さらに継続してこの運動に関与することが重要である」とされている。

第6章6.2では「科学技術の智の継承と共有の視点」として、何のために、何を、誰を対象に、継承・共有するのかを論じた後で、学習のあり方が認知科学の立場から記述されている。

6.2.5 プロジェクト型の学習を

6.2.6 学習環境のデザインを

(1)活動の目標が明快であること(2)活動そのものに面白さがあること

(3)葛藤の要素が含まれていること

ここでは生涯学習の場としての学校教育だけではなく社会教育にも通ずることが記述されている。

6.3「科学技術の智の継承と共有に関する具体的な方策」では普及の具体的な方策が、報告書の活用、恒常的な活動、諸機関への働きかけ、の三つの活動について体系的に記述されている。普及の具体的な方策をまとめると、表1-12の通りである。

表1-12 科学技術リテラシーの継承と共有に関する具体的な方策

なお、「科学技術の智プロジェクト」の総合報告書、専門部会報告書は、その普及のために、引用文献の著作権の制限規定に従った上で、誰でもが自由に利用できるようにされている。

科学技術の智プロジェクトでは、平成19年度末の3月28日にプロジェクトの最後の全体会議が開催された。そこでは、すでに発刊された総合報告書をもとに前記の「科学技術リテラシーの継承と共有に関する具体的な方策」について、さらに検討が加えられ、多くの意見が出された。それらは前述の方策と重複する部分もあるが、「1.科学技術の智プロジェクトの継続的活動」、「2.科学技術の智プロジェクトの成果の普及」、「3.科学技術の智プロジェクトの報告書の改訂」、「4.国・行政機関に向けて」、「5.学校教育に向けて」、「6.科学館等に向けて」、「7.家庭に向けて」、「8.生涯学習に向けて」などにまとめられた。具体的には、次のような意見が見られた。「科学コミュニケーションの成功事例をプラスインパクト情報と名づけて収集・分析して発信する。」、「科学技術リテラシーの測定を実施する。」、「多くの異なる読者を想定した様々な資料を刊行する。」、「何か問題が起きたときに,そのために必要な情報,社会で共有すべき情報を特定し,それを広めていく,という恒常的な「社会とのコミュニケーション・センター的なもの」を常時持つようにする。」など。これらは一括して本章末に「資料1-2 科学技術リテラシーの継承と共有に関する具体的な方策についての意見」として挙げてある。