2.3.ⅰ.生活リスクリテラシーの今日的意義

ⅰ-1.本節のまなざし:科学、リスク、生活

星・長崎ユニットでは、21世紀を心豊かに生きるうえで、持続可能な民主的社会を構築するために万人が共有してほしい科学リテラシーの向上を図るにあたって必要な具体的施策の基盤を形成することを目的としている。本稿は、そのなかでも生活の中のリスクにかかわるリテラシーの向上についての方向性を検討するものである。

本ユニットにおいては、生活リスクリテラシーを検討することの意義を次のようにとらえている。

まず、科学は暫定性、不確実性、答えのない問題への対処といった本質を有している。これらの本質と切り離して科学を扱うことには限界がある。この限界は、現代社会において益々露わになってきた。とりわけわが国にあって、東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所事故の発生を受けて、科学と社会とのありかたを再考する必要性が高まっている。暫定性、不確実性、答えのない問題への対処に配慮しつつ科学を考えなければならないという、このような事情を抱える典型的な題材のひとつとなるがリスクである。

いっぽう、すでに第1章にみたように、「21世紀の科学技術リテラシー像~豊かに生きるための智~プロジェクト」のなかでは、リスクはその概念を前面に出しては扱われていなかった。むろん、部分的にリスクとその周辺概念を論じた領域はある。たとえば、技術領域においては、働く技術(企業等での生産を支えるマネジメント技術)のなかで、生産性を上げるため効率と安全性との両立が重要であるとの文脈でリスクおよびリスク管理を扱っている(『技術専門部会報告書』p.36-37)。また、『総合報告書』(2008年3月)は「第5章 科学技術の智の活用:四つの話題」の「5.2 食料、その量と安全性の確保」のなかで、食品の安全性について論じている。これらの知見もふまえながら、星・長崎ユニットではさらに体系的にリスク概念を扱うものである。

ただし、リスクは多様な領域において存在し、それらすべてを扱うのは難しい。例えば「21世紀の科学技術リテラシー像」で提案される科学技術の智は、数理科学、生命科学、物質科学、情報学、宇宙・地球・環境科学、人間科学・社会科学、技術の7つの領域からなっている。そしてそれぞれの領域にリスクは関わっているのだが、それをすべて網羅することは、少なくとも星・長崎ユニットにおいては困難である。そこで本ユニットでは、生活をするうえで生じるリスク(生活リスク)に焦点を絞ることとした。

先の「21世紀の科学技術リテラシー像」が包含する7つの領域はそれぞれ、次の3つの共通視点によりながら具体化されている。それは、人間社会を軸に構成、ストーリー性を持って構成、現在から将来を視野において構成、の3点である。今回星・長崎ユニットにおいて生活リスクを考えることは、まさにこれら3つの視点を継承した作業となるであろう。

さらに、いわゆる科学離れが懸念される今日にあって、リテラシーを身につけるための動機づけも重要な検討課題とされている。このとき、この社会に生活者でない人間はいない。「自分の生活」を脅かすかもしれないリスクについて理解したい、さらにそれを解決したい、といった当事者性をもった安全・安心の志向は、科学に向き合いリテラシーを身につけることの動機となりうることが期待される。

上述をふまえながら本節では、以下の4つのパートから生活リスクリテラシーを検討する。まず、①現代社会において生活リスクを考える必要性およびそれに際しての3つの観点を提示する。さらに、②3つの観点を依拠しながらわたしたち国民(生活者)にとって生活リスクにかかわるリテラシーとは何かを整理する。そのうえで、③科学リテラシーと生活リスクリテラシーとの関係性を整理する。これらの整理をふまえ、最後に、④生活リスクリテラシーを検討する際の課題を指摘する。総じて、生活リスクリテラシーの涵養に向けた具体的方策の手がかりを得たいと考えている。

ⅰ-2.現代生活のなかのリスク

ここであらためて現代生活でリスクを考えることの必要性を述べておく。わたしたちが生きる現代はしばしば、リスクという概念を用いて特徴づけられ論じられる。そのなかでは、公的機関、研究機関、企業など様々な主体がリスクに向かい合い、リスクへの対応を行うことになる。

このことは、現代に生きるわたしたち国民すなわち生活者にとっても例外ではない。利便性や快適性の高い生活を享受しているだけではすまされず、自分たちにとってのリスクを理解し対処することの必要性が指摘される時代となった。

本稿において人間の生活とは、環境との相互作用による欲求充足と価値判断の連続過程として定義される。また生活リスクとは、その過程において発生する、人間の生命や健康・資産ならびにその環境に望ましくない結果をもたらす可能性としてとらえられる。わたしたち人間の生活にはさまざまなリスクが潜在している。大地震や津波といった自然災害、交通事故、犯罪、失業やケガや病気、地球温暖化などの環境破壊、化学物質による汚染や健康被害、原子力施設の事故、消費者被害など、枚挙にいとまがない。これらのリスクはいずれも生活の安全と安心を阻害することにつながる。そこで、生活のなかのリスクについて理解し対処することは、個々人にとって生活を営むうえで優先順位の高い課題のひとつとなってくる。

ⅰ-3.現代社会においてリスクを論じる3つの観点

現代社会に生きるわたしたちがリスクを論じるとき、そこでは少なくとも3つの観点が関わっていると言える(奈良,2011)。

第1がリスクの客観的な状態という観点である。この観点によれば、客観的にみて現代のリスクが質的に多様化している(していない)、あるいは量的に増大化している(していない)という事実があるとき、その様相をもって現代社会におけるリスクをとらえることになる。

第2に、リスクに対する主観的な状態についての観点も関わる。すなわち、客観的にはどうあれ、つまりたとえ物理的には危険要因が増えていないとしても現代に生きるわたしたちがリスクに敏感になってきたりリスクに対する不安が高まってきたりしている状況があるとき、あるいはその逆の状況があるとき、その認知のありようをもって現代社会とリスクを論じるのがこの観点である。

さらに第3には、リスクへの対処の状態の観点もあり得る。リスクを低減する必要性が大きいとして実際に具体的方策がとられたり課題が議論されたりするというようにリスクに対する人間活動が盛んになる、あるいはその逆の社会的な実態があるとき、その対処のありようをもって現代を特徴づける観点がこれである。

ⅰ-4.生活リスクリテラシーとは:暫定的方向性

現代社会に生きるわたしたちにとって必要な生活リスクに関するリテラシー(生活リスクリテラシー)とは何であろうか。前項の観点に対応させながら、以下にこれを暫定的に把握してみたい。生活リスクのリテラシーとは、第一にリスクの様相について理解すること、第二にリスクの認知について理解すること、そして第三にリスク対処について理解し実践する力量をつけることの3局面から構成される。

第一の「リスクの様相についての理解」とは、リスクとは何か、また現代社会にはどのような生活リスクがあるのかを理解することである。第二の「リスクの認知についての理解」とは、わたしたち人間は必ずしも客観的な状態のままにはリスクをとらえないことを、わたしたち自身が理解するということである。すなわち、個人がリスクをどのように認知するのか、その要因は何か、またリスクに対する考え方は社会や立場によってどのように多様となるのかについての理解が第二のリスクリテラシーの中身となる。さらに第三の「リスク対処についての理解と実践」とは、リスクおよびその悪影響を小さくするための人間活動(=リスクマネジメント)、およびリスクに関する情報や意見をやりとりするための人間活動(=リスクコミュニケーション)について、その手法を知り実際に行う力量をつけることである。

上述の暫定的方向性に沿って、次項以降に生活のリスクリテラシーの3局面について、それぞれの内容を整理することとする。