2.3.ⅱ.生活リスクリテラシーの具体的内容

本項では、リスクの様相、認知、対処の各局面について、生活リスクにかかるリテラシーの内容を検討してゆく。

ⅱ-1.リスクの様相を理解する

ⅱ-1-1.リスクとは

ここではリスクの様相を理解するための基礎として、リスク概念について整理する。リスク(risk)は、日本語では危険、あるいは危険性、危険度と訳すことができる。ただし、学術的には「リスク」とカタカナ表記することが一般的であり、本報もそれにならったうえで、リスクを次のように定義している。リスクとは、人間の生命や健康・資産ならびにその環境に望ましくない結果をもたらす可能性のことである。リスクの大きさは、望ましくない事象のおこりやすさと、その結果生じた損害の大きさとの組み合わせで把握されることになる。

リスクを研究する学問分野は非常に多岐にわたる。そこではリスクの定義がそれぞれの分野で微妙に異なっている。同じ研究領域であっても研究者によって異なることもある。リスク概念を一義的に規定することは実のところ容易ではない。

リスク研究を行うさまざまな分野の定義を概観したとき、リスクの定義には大きく3つの与え方があると言える(木下, 2006a)。それは、①リスクの発生の確率としての可能性に力点をおく定義(古典的な定義)、②発生の確率だけではなく、リスクによってひき起こされる結果の大きさとしての可能性にも力点をおく定義(一般的な定義)、③価値中立的な定義(新しい定義)である。

まず①の確率としての発生の可能性に力点をおく方法に依拠すると、リスクは次のようにとらえられることになる。すなわちリスクは、生命の安全や健康、資産や環境に、危険や傷害など望ましくない事象を発生させる確率、ないし期待損失である。

この定義をふまえ、さらに、引き起こされる損失や傷害の可能性、つまり結果の大きさにも力点をおいたものが、②のタイプとなる。リスクは、生命の安全や健康、資産や環境に、危険や傷害など望ましくない事象を発生させる確率と、発生した損失や傷害の大きさとの積である、といった定義が与えられることになる。

そして、③のタイプについて、リスク研究の分野によっては、「望ましくない」という価値的表現を用いずにリスクを定義することがある。この場合、事象の不確定な変化をさしてリスクととらえることになる。したがってこの定義によれば、望ましい変化であっても、それはリスクになりうる。

これらのうちどのタイプの定義を用いるかは、それぞれの学問分野、また研究領域で扱うリスクの性質によって違ってくる。概ね、①のリスク定義は医学、疫学、生物学などを中心とする個別科学で用いられることが多いようである。また、②の定義は環境科学や政策科学、行動科学、巨大技術など、複雑なリスクを扱う分野が一般に採用する。③の定義は経済学や経営学などの分野で用いられることが多く、最近では品質管理を含めた工学の分野でも使われるようになってきている。

ⅱ-1-2.リスクと不確実性

リスクの規定が一様でないなかでも、そこには共通して認められる概念がある。それは、リスクの本質は不確実性にあるということである。以下に示すようなリスクをめぐるいくつかの特性が、不確実性のもととなっている(木下, 2006a)。

①将来の出来事であることによる不確実性:リスクは将来の出来事である。リスクはいつ起こるか、どれくらいの起こりやすさで起こるか、どれくらいの大きさで起こるか、そもそも起こるか起こらないかさえも、今の時点ではどうしたところで確実には分からない。こうした未来の出来事について、それがもたらす不確かさを完全に克服することは原理的に不可能となる。

②「望ましくない」という表現の価値依存性による不確実性:リスクの定義のなかに一般に含まれる「望ましくない」ことが何であるかは価値依存的であり、個人差や文化差により一義的に定義できない。このことがリスクの本質が不確実性であることの所以となる。

③結果の大きさの範囲および程度への依存による不確実性:リスク定義に含まれる「結果の大きさ」は、その範囲と程度になにを含めるかによって変わってくる。

④単一のリスクだけで評価できないことによる不確実性:リスクは、複数の要素が複雑に絡み合う現実空間のなかで発生するため、単一のリスクだけで評価することができないことが多い。リスクトレードオフの問題を含めて包括的にリスクを評価するとなると、不確実性はさらに増大することになる。

ⅱ-1-3.リスクの成分

ⅱ-1-3-1.リスク、ハザード、ペリル

リスクは日本語では危険(危険性、危険度)と訳される。いっぽう「危険」という日本語には、リスクだけでなく、ハザード(hazard)、ペリル(peril)、という英語が対応しており、これらはその意味が少しずつ違う(図2-3-1)。

リスクはすでに述べたとおり、望ましくない結果をもたらす可能性である。そしてハザードは危険事情である。すなわち、望ましくない結果を起こしやすくする、あるいはその影響を拡大する状態や行動、技術などの潜在的な危険の原因や要因を指している。ペリルは、望ましくない結果を引き起こす引きがね、すなわち直接的原因となるもので、危険事故としてとらえられる。

図2-3-1 リスク、ハザード、ペリル

ハザードやペリルの存在そのものについて把握することと、それがどの程度の確率で起こりどの程度の危害をもたらすか(すなわちリスク)について把握することとは異なる。しかしながら、「○○は危険である」と表現される場合に前者と後者はしばしば混同されることがあり、注意を要する。

ⅱ-1-3-2.リスクの客体

リスクの理解には、リスクがどこに発生するのか、つまりリスクの客体は何であるかが重要な要素として関わってくる。リスクの客体は、リスクにさらされているもの、と換言できるが、例えば次のようなものが該当する。ひとの健康、身体、命、心の安定、金銭、財産、機械、システム、ネットワーク、情報、データ、品質、組織、会社、制度、経済システム、環境、自然、生物種などである。

リスクマネジメント学では、これらのリスクの客体について、イクスポジュアという専門用語で表現している。例えば自動車による交通事故の場合、イクスポジュアは、自動車、自分の身体・生命、事故相手の身体・生命である。化学や環境学、また生態学などにおいては、イクスポジュアは客体そのものではなく、災害のもととなる自然現象や社会現象が発生したときに被害を受ける可能性のある人、生態、資産などが、その影響を受けていること、あるいはその程度(ばく露度)を指すことが一般的である。

ⅱ-1-4.リスクの評価

ⅱ-1-4-1.大きさについての定量的評価

リスクは、大きいとか小さいといった程度を伴う概念であり、定量的評価の対象となりうる。一般に、リスクの大きさは、望ましくない結果のひどさの程度(損害強度)と、その発生のしやすさの程度(発生頻度)との組み合わせして表現される。

発生頻度については、たとえば一年に何回起こるか、一生のうちに何回起こるか、あるいは人口10万人あたり何人に発生するかといったように、確率によって起こりやすさを評価することになる。

損害強度については、エンドポイント(影響判定点)をおいて査定される。エンドポイントとは、リスクを分析・評価するために何を観測し測定するかということである。エンドポイントは、人の死や発ガン、損害金額など、計測しやすいものに絞って扱うことが一般的である。ほかにも、疾患の発症あるいはそれによる死亡、副作用の発生などもある。エンドポイントを明確に設定することで、得られるリスク評価も客観的なある一定の範囲の値におさまってくる。

ⅱ-1-4-2.因果関係や結果についての定性的評価

リスクには、定量的な評価が付与されることが一般的であるが、定性的な確認も与えられる。リスクが定性的にも理解されるべき理由は、やはりその不確実性にある。

リスクのなかでもとくに不確実性の存在が大きいもの、仮定の設定が多いリスク、たとえば過去に発生した数が小さく充分なデータの揃っていない事故や自然災害、損害の派生の程度が予測しにくい高度な科学技術に関わるリスク、さらにはある特定の集団のなかでの個別で特殊な事象といったリスクについては、その把握には定性的な確認を行うことがある。

ⅱ-1-5.リスクの実際

ⅱ-1-5-1.死亡率にみるリスクの実際

エンドポイントを死亡にとった場合、これに至る要因すなわち死因にはどのようなものがあるのだろうか。死因をみることで、わたしたちが生きてゆく中でどのようなリスクをどの程度の大きさで負担するのかを客観的に把握することができる。

 この世には死亡に至るさまざまなリスクがあるが、それらがどの程度深刻なものなのか、これを相対的に判断する目安として、年間死亡リスクいった考え方がある。年間死亡リスクは、1個人が1年間に死亡する確率のことである。表2-3-1には、2011年中の死因分類別にみた死亡数(人口10万あたり)を年間死亡リスクとして算出しなおした数値が併せて掲載されている。あるリスクについての年間死亡リスクは、年間(この場合2011年)のある死因による全死者数を、総人口(この場合2011年の総人口)で除することで得られる。

あまりニュースにはならないが実は相対的にリスクの大きい事象のひとつに、日常生活のなかの浴槽内での及び浴槽への転落による溺死及び溺水がある(年間死亡リスク4.0×10-5)。また、スリップ・つまずき及びよろめきによる同一平面上での転倒による死亡も多く(年間死亡リスク4.0×10-5)、いずれも交通事故の年間死亡リスクに近い。

リスクの程度を把握するためのリスク表現としては、年間死亡リスクのほかにも、生涯死亡リスク、損失余命、行為あたり死亡率、利益あたり死亡率、といったものがある。生涯死亡リスクは1個人が特定の原因により死亡する確率のことである。損失余命は、あるリスク事象を負担した場合に負担しない場合と比べて寿命がどの程度短縮されるかということである。行為あたり死亡率は、ある特定の行為1回あたりの死亡率を意味する。また利益あたり死亡率は、移動距離、生産量などの利益あたりの死亡率のことである。

このように、さまざまなリスクについてエンドポイントを統一し、死亡者数(死亡率)を比較することで、生活とするうえで身の回りにどのようなリスクが、どの程度の大きさをもって存在しているのかを知ることができる。

表2-3-1 年間死亡リスク(抜粋)

出所:厚生労働省『人口動態調査(平成23年)』1C上巻「死亡」表から作成

ⅱ-1-5-2.分類にみるリスクの実際

具体的なリスクの整理を試みたものとして、文部科学省 科学技術・学術審議会安全・安心科学技術委員会「安全・安心科学技術に関する重要課題について」(2012)において整理された、「安全・安心を脅かす要因の分類」(表2-3-2)がある。

この表にあっては、リスクの生じる問題領域をまず大きく分類し(大分類)、大分類ごとにさらに中分類、小分類、と整理していくやり方がとられている。大分類としては、①犯罪、②事故、③自然災害、④戦争、⑤サイバー空間の問題、⑦健康問題、⑧食品問題、⑨社会生活上の問題、⑩経済問題、⑪政治・行政の問題、環境・エネルギー問題、⑫複合問題の12項目があげられ、小分類には相当に具体的なリスク事象が示されている。ただし、言うまでもないことであるが、表2-3-2に示された事象がこの世のすべてのリスク事象を網羅しているわけではない。小分類のレベルにはさらに多くのリスク事象が入ることになる。

表2-3-2 安全・安心を脅かす要因の分類

(出所 文部科学省 科学技術・学術審議会 安全・安心科学技術委員会「安全・安心科学技術に関する重要課題について」2012)

表2-3-2のような分類を用いることで、生活者は自分たちの生活にはどのようなリスクが潜在しているのかを俯瞰することができる。

以上ここまではリスクの様相を理解するための諸要素について述べてきた。次に、リスクの認知の局面について考えていく。

ⅱ-2.リスクの認知を理解する

ⅱ-2-1.主観リスクと客観リスク

リスクは望ましくない結果をもたらす可能性についての発生のしやすさ(頻度)と結果のひどさ(強度)との組み合わせであり、その大きさは望ましくない結果をもたらす可能性について客観的に把握される。いっぽうリスク認知は、望ましくない結果をもたらす可能性についての、ひとによる主観的な判断のことを言う。

物理的なリスクそれ自体は客観リスク、心理的に認知されたリスクは主観リスクと表現され、それらは区別して扱われている。客観リスクに関して、望ましくない結果をもたらす事象の生起確率やその影響の大きさは、関連する科学的データから評価される(ただし、その際にデータが変動したりミスが入り込んだりする可能性は否定できない)。いっぽう、人びとが恐れたり危険と感じたりするのが主観リスクである。

客観リスクと主観リスクとのあいだには、ギャップ(パーセプション・ギャップ)がしばしば生じる。日本人大学生を対象とした調査研究によると、パーセプション・ギャップとして主観リスクのほうが顕著に大きいものとしては「原子力発電所の近くに居住する」、「鎮痛剤を飲む」などが、逆に客観リスクのほうが顕著に大きいものには「自家用車を運転する」、「スキーをする」などがあげられる(草間ほか,1985)。

ⅱ-2-2.リスクの認知バイアス

主観リスクと客観リスクとの間にギャップが生じるのはなぜだろうか。その原因は、リスクの本質すなわち不確実性にある。さらに、これに人間の認知能力の制約が関わってくる。制約を抱えるなかでリスクについての情報処理が行われるとき、その過程にはリスク認知のバイアスが生じる。その結果、客観リスクとは違う判断をすることになる。

心理学の分野では、数多くの認知バイアスが指摘されている。ここでは、リスク認知のバイアスについて、ヒューリスティックから生じる認知バイアス、リスクの認知プロセスのなかで生じる一般的な認知バイアス、リスク事象の特性にもとづく認知バイアスの項目に整理して次に概観しておく。

ⅱ-2-2-1.ヒューリスティックと認知バイアス

ヒューリスティックとは、不確かな状況下で判断や決定を行う際に用いる簡便で直観的な方略のことを言う。リスクについての判断や決定は不確かな状況下で行われる。不確かな状況にあっては可能的な多様性が大きい。このとき、状況の持ちうる多様性すべてについて必要な情報を集め分析し検討しようとすると、それには大きな認知的コストがかってしまう。そこで認知コストを小さくするために、ひとはヒューリスティックを用いて、手っ取り早くおおまかに判断するのである。

ヒューリスティックは非常に効率的である。そのため、リスクについての判断を含め、日常生活のなかでの判断過程でしばしば用いられている。しかし、ヒューリスティックを用いた判断や決定が必ずしも正確であるとは限らない。認知バイアスが生じ、その結果判断を誤ることもある(Kahneman & Slovic & Tversky,1982; 楠見,2001) 。

 認知バイアスにつながるヒューリスティックのひとつに、利用可能性ヒューリスティックがある。利用可能性ヒューリスティックとは、ある事象の生起確率を該当する事例の利用しやすさに基づいて判断する直観的方略のことを言う。つまり、ひとは利用しやすい情報を重視してリスクを判断するということである。しかし、利用しやすさは現実の生起確率には必ずしも対応しない。目立ちやすく選択的に記憶されやすい事象は、その生起確率が過大に評価される傾向がある。たとえば、最近起きた事故や、近所や友人など身近なひとに起こったリスク事例は記憶されやすく過大視されやすい。また、たとえ現出頻度は小さくても、そのイメージが鮮明に思い浮かぶような事象や、マスコミなどで盛んに報道されている事象についても同様となる。たとえば、航空機事故はめったに起こらないが、発生すると多くの死傷者が出てマスコミの報道量が多く記憶に残りやすくなり、過大評価につながる。

ⅱ-2-2-2.リスク情報の処理プロセスと認知バイアス

わたしたちをとりまく自然環境と社会環境からは、メディアを通してさまざまなリスクに関する情報(リスク情報)が個人に到達する。ただし、わたしたちたちは、これらのリスク情報について、すべてをそのままのかたちでは受け取らない。なかには、情報の存在が気づかれず無視されることもあるし、情報源あるいは情報そのものの信憑性が疑われて無視されることもある。また、その情報があまりにも重大な脅威をもたらすとされて個人の自我防衛機構によって排除されることもある(広瀬, 2006a)。

このように、無視や排除というフィルタリングの過程を経たのちに個人に受容されたリスク情報は、一定のゆがみ(バイアス)すなわち認知バイアスを持つことになる。このようなリスク認知の過程に伴う認知バイアスとして、正常性バイアス(ある範囲内では認知された異常性をなるべく正常な状態で見ようとする)、楽観主義バイアス(自分の周りで起こる事象を自分に都合の良いようにゆがめて認知する)、カタストロフィー・バイアス(きわめて稀にしか起こらないけれども、非常に大きな破滅的な被害をもたらすおそれのあるリスクについてゆがめて見ることで、これを過大視する)、ベテラン・バイアス(経験しているがゆえにリスクをゆがめて見てしまう)、バージン・バイアス(未経験であるがゆえにリスクをゆがめて見てしまう)、同調性バイアス(ほかのひとに同調してリスクを認知する)などがある。

このうち、正常性バイアスについて、このバイアスが働く具体的な場面としては、例えば自然災害に対する認知がある。津波や地震などの発生に対して警報や住民への避難勧告あるいは避難指示が出されても、正常性バイアスが働いて、警報を無視したり避難をしなかったり避難を遅らせたりすることにつながっている可能性がある。

ⅱ-2-2-3.リスク事象の特性にもとづく認知バイアス

 あるリスク事象について、それに何か特定の性質が伴っていると感じられるとき、頻度や強度の客観的大きさには関係なく、リスクの大きさの程度の認識が高まる、あるいは、逆に低くなることがある。これが、リスク事象の特性にもとづく認知バイアスである。この認知バイアスについても多数指摘されている(Slovic,1987; 広瀬, 1993; 木下, 1997; 岡本, 1992)。

たとえば、そのリスクが自らの自発的な関わりによって生じるのか、そうでないのかによって、リスクの認知は変わってくる。ひとびとが自ら進んでそのリスクにさらされる自発的なリスクとしては、危険なスポーツや喫煙によるリスクなどがあり、いっぽう、好むと好まざるにかかわらず人びとが非自発的にそのリスクにさらされるリスクとしては大気汚染のリスクなどがあるが、これら2種類のリスクを比べた場合、自発的なリスクよりも、非自発的リスクのほうが強く認知される傾向が認められる。

また、そのリスクの分配が公平か不公平かによってリスク認知は異なる。一般に、不公平に分配されたリスクはより大きく感じられる。不公平に分配されたリスクとは、その事象をめぐり損害を受ける人と便益を受ける人とが存在する場合に生じるもので、原子力発電所事故はその典型例である。

さらに、個人的な予防行動では避けられないという特性を感じさせるリスクは、強く認知される。たとえば喫煙による肺がんのリスクは禁煙することで自ら制御できる。これに対して、大気汚染による肺がんのリスクは、複合的に生じる大気汚染の諸原因となる活動(自動車の走行や工場の運転など)をやめさせることはできず、さりとて呼吸を止めるわけにもいかず、制御の範囲外となる。このような場合には実体よりもリスクを大きく感じることとなる。

ほかにも、遺伝的影響を後の世代に与えるなど将来の世代に悪影響が起こるリスクは実際よりも過大視され、また放射線被ばくによる晩発性効果の発がんのように悪影響が遅れて出てくるリスクも実際よりも過大に評価されるなど、リスク事象の特性にもとづく認知バイアスは数多くある。

このように、わたしたち人間がリスクをとらえるとき、そこにはさまざまな認知バイアスがともなう。ここで述べてきた認知バイアスは、人間には程度の差はあれ誰しも生じる。リスクをまったく客観的に把握することは困難であり、実際、ほとんどできていないと言えるだろう。そして主観リスクをもとに、わたしたちはリスクに不安を感じたり、あるいはまた他の管理主体(行政、企業など)に対応を要求したりしているのである。

ⅱ-2-3.リスクの受容

わたしたち人間は長い歴史のなかでリスクとともに生き、しかたなくリスクを容認し受け入れてきた。わたしたちがリスクを受容したりしなかったりする、その要因は何であろうか。 

心理学の分野ではリスク受容の実態や要因を探る研究が行われてきた。そこで得られた知見として、客観リスクの大きさにかかわらず、そのリスクを負担することで大きな便益が得られるならばリスクが受容されやすく、また、自発的活動では受容されるリスクレベルが高くなる傾向が指摘されている(Fischhoffら,1978;木下,1988など)。

また、一般のひとびとは、ゼロリスクへの理想論的期待が強く、とくに自分や身近なひとが被害にあうことに拒絶反応を示すとされている(杉森, 2006)。ひとびとのゼロリスクへの固執およびその問題点については、さまざまな領域において専門家や研究者から指摘されてきた(Slovic, 1987; ロス, 2001; 中西, 1990; 木下, 1996; 中谷内, 1998aなど)ただし、ひとびとは決して、あらゆるリスクに対していかなるときもゼロリスクを要求するわけではない。

ここで、ひとびとのゼロリスク要求の認知構造を調べた中谷内の研究を紹介する(中谷内, 2004)。この研究では、一般の社会人・学生を対象に、全61項目のリスク事象についてのゼロリスク要求を調べている。61項目とは、原発の原子炉事故、外科手術、がん、自動車事故、台風、いじめ、喫煙、登山など、リスク認知研究でよく用いられる科学技術や物質、活動、病気などである。これら61項目それぞれについて、「それを原因として死ぬ人がひとりも出ないようにすべきと、どの程度強く思うか」との質問をし、「まったく思わない」から「非常に強くそう思う」までの7段階評定尺度による回答を求めた。得られたゼロリスク要求の評定値を因子分析にかけたところ、「人工環境問題因子」、「自然災害因子」、「自発的活動因子」、「病気因子」、そして「対人紛争因子」の5つの因子が抽出されている。

具体的にどのような項目に対してゼロリスクを強く求める傾向があるか、その結果を見てみると、ゼロリスク要求の「強い」ものから上位10項目には、輸血による感染症、原発の原子炉事故、いじめ、核廃棄物とその処理、薬の副作用、拳銃、外科手術、農薬、エイズ、鉄道事故があがっており、これらには人工環境問題因子に含まれる項目が多く含まれている。このことから、人為的活動にともなう事故や、産業活動の副産物などの影響については、ゼロリスクを求める傾向が大きいと言える。また、そのリスクによる被害者が弱者や一般人である対人紛争の場合にも、強くゼロリスクを求める傾向が見て取れる。病気や自然災害に対するゼロリスク要求の程度は、これらに比べると小さい。

そして、ゼロリスク要求の弱いものには、喫煙、スケートボード、酒によったうえでの事故、登山、ハングライダー、暴走族・非行グループの喧嘩、暴力団の抗争、スキー、アルコール中毒、落雷、などがあり、ここでは自発的活動因子に関わる項目が多数見られる。自分の楽しみのために自発的に行う活動について、ゼロリスクを求める程度が小さくなっていることが分かる。

このような結果のなかでとくに興味深いのは、病気そのものについてよりも、それに対処するための医療行為についてゼロリスクを求める程度が高いことである。どのような薬や手術にも必ずリスクは伴うという事実にもかかわらず、ひとびとは医療行為に対して非常に高いレベルでの安全を求めている。これは、自然の営みによって死ぬのはしかたがないけれども、本来ならば自分たちの生活に大きな便益をもたらすはずの科学技術のせいで死ぬというのは受け入れられないとする考えによるものと思われる。

ⅱ-2-4.リスク認知の個人差

リスク認知のしかたは個人によって多様となる。これには、年齢、職業のような個体的要因と、国や地域といった文化的・環境的要因とが関わっている(木下,2006b)。個体的要因はさらにデモグラフィック要因(年齢、性別、居住地域、所得、職業、学歴、家族構成、子どもの有無、要介護者の有無など)と、心理的要因(リスク観、自然観、安心志向性、生活価値、専門家への信頼感など)とに大別することができる。

デモグラフィック要因のなかでも、性別や年齢の効果はよく指摘される。一般に、女性はリスクを過大視し、また年齢の若い層にも同様の傾向が見られることが多いとされている。しかし、そのような傾向がなぜ生じるのかの一義的な特定はまだなされていないし、実際、その傾向がいかなる条件下でも一様に見られるわけではないということも同時に指摘されている。

 著者が2012年に行った調査においても、女性のリスク認知のほうが高いとは一概には言えないという結果が得られている。この調査は、成人男女を対象に、地震や交通事故、収入減少、薬の副作用、インターネットでの個人情報流出など、生活上に生じる可能性のある事象22項目について、そのリスクをどう感じているかを調べたものである。調査フレームの詳細は章末の注を参照されたい。

不安の程度については、各リスクについて「どのくらい不安を感じていますか」との質問をし、「非常に不安を感じる:6」から「まったく感じない:1」までの6件尺度で回答を得ている。起こりやすさの程度に認知については、「これらのリスクは、あなたにとって、どの程度起こると思いますか」に対して「必ず起こる:6」から「絶対に起こらない:1」、ひどさについては「これらのリスクが、実際あなたに起こった場合、あなた自身にどの程度の被害があると思いますか」に対して、「非常に大きな被害がある:6」から「全く被害はない:1」としてそれぞれ回答してもらった。

日本の回答者の、それぞれのリスク事象に対する回答について、男女別に求めた平均値を表2-3-3に示す。表中では値の大きいほうが、より不安(起こりやすさ、被害のひどさ)を感じていることになる。また、t検定による平均値比較の有意水準を示した。

表2-3-3 さまざまなリスク事象に対する不安、起こりやすさ、被害のひどさについて

認知の男女比較

表2-3-3によると、日本人女性は、不安の程度また自分への被害のひどさについて多くの項目において、男性よりも統計的有意に大きな値を示している。しかし起こりやすさについては男女差のない項目がかなりある。むしろ、インターネット関連のリスクについては、男性のほうが起こりやすいと感じている。統計的有意に女性のほうが強く認知しているものとしては、薬の副作用、地球温暖化や遺伝子組換え食品など、科学技術に関わる人為的項目が目立つ。

このように、そのひとの属性によって、またリスクの種類によって、リスクの感じ方は多様であり、その違いを丁寧に見てゆく必要がある。多様な属性(年齢、性別、価値観、職業、経済状態、健康状態・・・)を持つひとびとが構成要素となっている現代社会にあっては、自分がどのようにリスク認知をするのか(リスク認知バイアスの存在も含めて)を理解するだけでなく、ひとによってリスク認知が異なることを理解することも重要となってくる。

ⅱ-3.リスク対処を理解し実践する

ⅱ-3-1.リスクマネジメント

これまでにリスクの様相およびリスクの認知の局面について述べてきた。この項ではリスクへの対処の局面について考える。まずはリスクおよびその悪影響を小さくするための人間活動(=リスクマネジメント)についてである。リスクマネジメントは客観リスクに作用し、これを低減するための人間活動ということになる。

ⅱ-3-1-1.リスクマネジメントの意義と目的

リスクマネジメントとは、リスクとその悪影響を小さくするために行われる主体的・計画的なマネジメントプロセスであり、リスクのアセスメントと処理を講じるための管理活動のことを言う。生活者による生活リスクマネジメントは、生活上のリスクとその悪影響を、計画的で効率的な資源の獲得や分配をもって小さくしようとするものである。生活リスクマネジメントの目的は、生活の安全・安心を確保することによって生活のよりよさの実現に資することに据えられている。

リスクマネジメントは以下の二つの考え方にもとづいて行われる。第1には、将来の不確実で大規模な損害発生の可能性を、現在の確実で小規模なコストに置換する、という考え方。第2には、それを必要十分なだけのコストをかけて合理的に行う、という考え方である。このときのコストには、金銭に代表される財務的コストと非財務的コスト(労力、時間、他者との協力や調整など)が必要となる。

ⅱ-3-1-2.リスクマネジメントの方法

リスクマネジメントの具体的な活動過程のことをリスクマネジメントプロセスという。リスクマネジメントプロセスは、リスクおよびその悪影響を小さくするために生活の中に導入される。リスクマネジメントプロセスは、次の諸段階からなる。第1段階:リスクの分析-第2段階:リスクの評価-第3段階:リスク処理手段の選択-第4段階:リスク処理の実行-第5段階:リスクマネジメントの再評価。

リスクマネジメントのサイクルは、マネジメントの基本形であるPDCAサイクルに沿っている。計画・実施ののち、リスクは適正に分析・評価できたか、選択したリスク処理手段は妥当だったか、構成員が役割分担をもって対応できたか、リスクは充分小さくなったか、といったことを見直す。そこに問題点があれば、改善し次のリスク対応につなげていく、といった継続的なサイクルをなすことになる。

リスクの分析では、リスクを発見(同定)し、さらにその大きさを、望ましくない結果のひどさの程度や起こりやすさの程度によって見積る作業を行う。リスクの評価の段階においては、自分の生活に対するリスクの影響の大きさを検討し、自分の生活におけるリスクの相対的重要性を認識する。そして対処すべきリスクの優先順位をつける。

これらの作業にあっては、リスクが枚挙された一覧表などの資料があるとリスクの洗い出しがしやすい。たとえば、表2-3-2のような分類表がこれに該当する。ただ、当然のことながら、既存のリスクリストはこの世のありとあらゆる生活リスクを洩れなく枚挙しているわけではなく、そこには挙げられていないリスクについても検討する必要がある。それでも、すべてのリスクを洩れなく洗い出すことはまず不可能であろう。さらには生活を取り巻く環境および生活者自身のライフステージや生活状況も変化するなかで、発生するリスクもまた変化する。したがって、一回のリスク発見に完璧を求めるのではなく、日常的かつ継続的にリスクの洗い出しを行うことによってリスクの把握に近づくことが、この作業のねらいとなる。

また、リスクマネジメントの特性は、それが不確実性への対処であるいうことであって、リスクの分析もリスクが内包する不確かさをふまえた作業となる。リスクの起こりやすさとひどさはともに、ひとつの数値による定量的評価を得ることが難しい。そこで、統計データを参考にしながら経験的にそれらを判断し、ある程度の幅をもった分布として見積もることが、ここでの実際的な作業となる。さらに、どのような要因と経過でリスクが発生し、その結果、何にどのような影響が及ぶことになるかをシナリオとして記述してみることで、因果関係や結果についての定性的評価を行う。シナリオの記述の過程では、そのリスクについてのハザードやペリル、そしてダメージは何かを検討する。

ⅱ-3-1-4.リスク処理

 第1段階、そして第2段階を経て、あるリスクについてこのままでは受け入れられないと判断された場合、具体的な処理を施してそのリスクを小さくしていくことになる。そのための方法を考案、検討し選択するのが、第3段階である。

リスク処理は、損害の発生の前と後のどちらに焦点化した対策かという基準から、事前的管理と事後的管理とに大別される。事前的管理は損害が発生しないよう、あるいは発生してもその悪影響が小さくてすむようにするために講じられるものである。

事前的管理には、リスクの回避(イクスポジュアとの関わりを絶つ)、リスクの防止(リスクの頻度を減少させる)、リスクの軽減(リスクの強度を減少させる)、リスクの分散(イクスポジュアを分ける)の諸技術がある。

リスクの事後的管理は、事前的管理の努力にもかかわらず損害が具現化した場合を想定しての第二の対策として講じられる。具体的な技術としてリスクの保有とリスクの移転がおもに用いられる。このうちリスクの保有とは、リスクの結果について自己負担することであり、実際に損害が具現化したときには、内部の資源により損害を手当する。いっぽうリスクの移転は外部資源によって損害に対応するというものである。

ⅱ-3-2.リスクコミュニケーション

次に、リスクに関する情報や意見をやりとりするための人間活動であるリスクコミュニケーションについて見てゆこう。リスクマネジメントが客観リスクに働きかけてこれを小さくするための人間活動であったのに対して、リスクコミュニケーションは客観リスクと主観リスクのギャップに作用し、これを小さくする活動である。

ⅱ-3-2-1.リスクコミュニケーションの意義と目的

あるリスクをめぐり立場の異なる人間が関わるとき、その解決に向けてリスクコミュニケーションの導入が提案される。リスクコミュニケーションとは、あるリスクについて直接間接に関係するひとびとが、リスクの存在や形態、深刻さ、受け入れ可能性について情報や意見を交換する相互作用プロセスのことである。

リスクコミュニケーションについては欧米がその先進国であると言える。アメリカの学術会議である米国研究評議会(National Research Council)によると、リスクコミュニケーションは次のようにとらえられている。リスクコミュニケーションは、個人とグループそして組織のあいだで情報や意見を交換する相互作用的過程である。それは、リスクの特質についての多種多様なメッセージだけでなく、リスクをめぐる関心や意見、さらにはリスク管理のための法的あるいは制度的な対策への関心や意見をも含むものである(National Research Council, 1989: 林・関澤監訳, 1997)。この定義に、リスクコミュニケーションが決してリスクメッセージの一方向的な発信ではなく、関心・意見までも含めた双方向的な情報伝達プロセスであることが強調されていることを見て取ることができよう。あるひとつのリスクをめぐっては、生活者、行政、企業、研究者(機関)、NPO、マスコミなど多様なステークホルダーが関与することになる。

ここで、立場の異なる主体として、生活者と専門家に着目してみたい。専門家とは、ある分野やことがらなどについて専門に研究・担当・従事し、それに精通しているひとのことであるが、生活との関わりという観点で見たとき、専門家には少なくとも以下の5つの種類がある(奈良・伊勢田, 2009)。①科学者・基礎研究者としての専門家:公的機関、また企業の基礎研究部門などにおいて研究に従事しているひと。②技術者としての専門家:公的機関、また企業の開発部門などにおいて製品やサービスのための技術の開発に従事しているひと。③実務者としての専門家:公的機関、また企業などにおいて製品・サービスの生活者への提供に従事しているひと。④評価者としての専門家:公的機関、また企業などにおいて、科学(あるいは科学技術)が生活者や社会全体にもたらすベネフィットや問題点・課題についての分析や評価に従事しているひと。⑤助言者としての専門家:公的機関、また企業などにおいて、生活者と科学(あるいは科学技術)との関わりについて助言や提言を行うひと。本稿で「専門家」という場合にはおもに①から⑤のような専門家をおもに念頭においている。

生活者と専門家に着目した場合、リスクコミュニケーションには次に述べるような3つの意義が認められる。第1の意義は、生活者がさまざまなリスクについての客観的な情報を得ることにある。これは生活者のリスク認知の限界に対応している。リスクコミュニケーションは、生活者にとってリスクの頻度や強度に関する客観的な情報を得る機会となる。また、ゼロリスクは不可能であることを理解したり、どの程度までリスクを小さくすれば安全であるかについての指針を得たりすることができる。これらは、生活者が自らの生活のなかに実際的なリスクマネジメントを導入することにつながっていく。

第2の意義は、専門家が、自分たちの領域や立場とは異なるひとたちのリスクについての考え方や対処の手法を知ることにある。これは専門家の限界に対応した意義である。社会が複雑になるにつれ、生じるリスク事象の要因や背景はますます複合的になっている。したがって現代におけるリスクの理解や解決のためには、総合的な観点や手法によるアプローチが必要となる。さらには、ものやしくみが現実世界でうまく機能するようにするためには、それが実際にどう使われるのかというユーザーの側の生活の事情に関する情報も必要となってくる。

そして第3の意義は、生活者と専門家との関係性の見直しにある。リスクをめぐっては、二者の関係はしばしば欠如モデルにもとづいてとらえられる。しかし、専門家がそうであるように生活者にも秀でた部分があり、両者が互いに学び合うことで、リスク解決の選択肢や可能性が広がることが期待できる。このような欠如モデルに対する疑問、すなわち「教えるひとと教えられるひと」という関係のみなおしが、リスクコミュニケーションの3つめの意義である。リスクコミュニケーションでは、互いに教え合い学び合うという関係が構築されることになる。この関係性のなかでは、生活者のリスクコミュニケーションへの主体的な参画が重要となる。生活者は、自分たちがどのような価値観を持っており、どのような事象をリスクとしてとらえ、その悪影響をどの程度まで小さくして欲しいかについての意見を積極的に発信すると同時に、自分たちが生活実践のなかで得た知を踏まえながら、リスク対処の改善案を示すことも必要となる。

ⅱ-3-2-2.リスクコミュニケーションの方法

リスクコミュニケーションは基本的に次の段階にそって実施される。①受け手(相手)の特徴や価値観や意見を把握する、②リスク事象についての事実・現状を把握する、③メッセージを作成しメッセージを伝える方法を検討する、④リスクコミュニケーションを実施する、⑤リスクコミュニケーションを再評価する。

リスクコミュニケーションは、食品安全や原子力発電、消費生活用製品、環境問題、健康・医療、自然災害など様々な領域において行われることになる。生活者がリスクコミュニケーションに関与する場面としては、専門家からの情報提示(テレビやウェブサイト、シンポジウム等メディアは多様)へのアクセス、専門家との直接対話として行われる公開ヒアリングや公開討論会への参加、パブリックコメントの寄稿、サイエンスカフェへの参加等があり、近年ではリスクについての情報や意見の交換の機会が多様性を持ちつつ増えてきている。

さて、リスクコミュニケーションでは信頼が重要な概念として扱われている。このとき、専門家は信頼を得るために努力すべき・・・といったふうに、専門家が備えるべき要件のなかで論じられがちである。しかし、本来リスクコミュニケーションが双方向性を前提とした人間活動である以上、信頼構築の努力は生活者の側にも求められることになる。