3.1.ⅰ.はじめに

これまでに行われてきた科学技術リテラシーの涵養活動や国民の科学技術リテラシーを巡る議論において、「科学技術リテラシー」という言葉を用いる側には、「科学技術についての知識を保持していることが、社会の中で好ましい行動をとることにつながる」といったような漠然とした因果関係を無意識のうちに前提としてしまってきた部分があるように思われる。しかし、科学技術について何を知っていればリテラシーがあると言えるのか、また、そもそも科学技術について知識を持つというのはどういう意味か、そして、そのような知識を個人が保持していたとして、それがその個人の科学技術との関わり方にどのような影響を与えるのか、といった問いに対する答えは全く自明ではなく、むしろ、研究の蓄積とともにそれらの問いに答えることの難しさが浮き彫りとなってきている(e.g. Roth and Lee, 2002; Stocklmayer and Bryant, 2011)。社会のあらゆる人々がどういった内容や程度の科学技術についての知識を保持すべきかについての理論的・実証的な研究を行ってきた英国系の科学コミュニケーション論や科学技術社会論においては、ごく単純化された知識習得・伝達を前提として構築された科学技術リテラシー涵養モデルともいえる「欠如モデル」は既に否定されている(e.g. Tlili and Dawson, 2010)。また、政府や科学研究機関が推進する科学コミュニケーション活動の背後にある理念も、人々の科学知識の保有量について中心的な関心を示していた1960年代の「科学リテラシー」に始まり、科学知識の保有量と科学への態度の変容に着目した1980年代後半からの「公衆の科学理解」を経て、1990年代の後半頃からは「科学と社会」を中心とするものに変容を遂げてきたという見方も定着しつつある(e.g. Bauer, Allum and Miller, 2007)。このような状況を鑑みると、今、科学技術リテラシーの涵養を推進する立場にある者には、自らが推進しようとする「科学技術リテラシー」の内容や活動対象や涵養活動の意義などについて、注意深く問い返す姿勢が求められていると言えよう。

科学技術リテラシーの涵養活動を推進するということは、その対象とする主体の生活に対する介入とも捉えることができる。その場合、涵養活動の推進主体は、自身が目指している社会の像(=ビジョン)を明確化し、そのビジョンの中に科学技術リテラシー涵養活動がどのように位置づけられているかについて注意深く検討すると同時に、科学技術リテラシー涵養活動の必要性を主張する根拠について、活動の対象者や社会に対して明確な形で示していかなければならない(c.f. Ogawa, 2013)。また同時に、そのような介入活動を行うに当たっては、その介入行為を自身が行うことに対する正統性の根拠についても明確にしなければならない。すなわち、科学技術リテラシー涵養活動の推進に関与する個々人には、その議論・活動の背後に無批判・暗黙のうちに据えてしまっている社会の将来像や科学と社会の関係性についての前提や根拠といったものに対して、改めて批判的に省察を行い、それらを言語化し、広く社会と共有することが求められる。今回、科学技術振興機構(JST)・科学コミュニケーションセンターが星・長崎ユニットの活動を通じて、これまでにJSTが主体となり推進してきた科学技術リテラシー涵養活動を見直し、また、これからの科学技術リテラシー涵養活動の新たな形態・内容についての議論を深めていく上でも、そういった作業は欠かせないものと言えるだろう。

本章は、そのような省察を行う上で重要と考えられる論点を提示することを目的とする。具体的には、星・長崎ユニットがその議論・活動の土台として踏襲している「科学技術の智プロジェクト」(2006〜2008)がプロジェクト終了後に出版した総合報告書を注意深く読み、そこで掲げられている「科学技術リテラシー」が、科学技術リテラシー涵養活動の対象とする主体や社会にとってどのような意義を持つものであることが想定されているのかについて、検証を行う。「科学技術の智プロジェクト」は、「すべての日本人が身に付けてほしい科学・数学・技術に関わる知識・技能・考え方を提案しようという試み」(科学技術の智プロジェクト, 2008, p.1)である。その総合報告書(科学技術の智プロジェクト, 2008)は、「21世紀を心豊かに生きるにあたり、『持続可能な民主的社会』を構築する」という「科学技術の智プロジェクト」の基本方針が意味するところやその立ち上げの背景となった社会状況、具体的に科学技術についてのどのような内容を科学技術リテラシーとして認識しているのか、等の事項について記述してある。本章は、この総合報告書を批判的に検証し、そこで述べられている科学技術リテラシー涵養活動の前提や根拠となっている議論を明確化し、それらの議論が持つ射程の限界や問題点について考察する。

本章の構成は次の通りである。まず3.1.2では、総合報告書の前書き「科学技術の智プロジェクト総合報告書刊行にあたって」および第1章「21世紀を豊かに生きるための科学技術の智に向けて」から、同プロジェクトの掲げる日本の将来の社会像についての記述を抜粋する。次に、3.1.3では、科学技術リテラシー涵養活動の推進主体が、そもそも「科学技術リテラシー」とはどのような目的のために誰が保有すべきものであると捉えているのかについて検討する。さらに3.1.4では、その保有を権利として捉えているのか、もしくは義務として捉えているのかという点について検討を行う。最後に3.1.5では、科学技術リテラシー涵養活動の対象を「個人」に限定するのではなく、むしろ「社会」の側に科学技術リテラシーを涵養することで個人を支援する必要性があるという点について論じる。